病気の人に「心配だね」「大変だね」と言ってしまうと、本人が落ち込んでしまう事が多々あります。とはいえ反対に「大丈夫だよ!」「心配し過ぎだよ!」なんて言ってしまっても、気持ちを分かってくれない。。と思われてしまう事も有ります。
その原因は「質問力」にありました。
人間関係の質だけでなく、収入をもUPさせる力を持っている【質問力】。その質問力について紐解いてみると…こんなことが分かりました。
他人の頭の中は見えない
今はSNSなどでも、数行の言葉に対して 自分の意見を発することに慣れている時代ですが、実際のところ「人の頭の中」は本人にしか見えません。増してやその頭の中の思考は、ある一時の事から生まれた思考ではなく、言葉を発した人の人生が作り出したものなのですから。
人はだいたい同じ状況に合えば、同じようなことを考える生き物ではありますが、私たちは目の前の人の人生を体感したことがありません。それはたとえ家族であっても同じです。なので違う発想になっても当然なことなのですよね。誰も責められないです。
それなのに、話を聞いてあげる前に「私はこう思う!」と言葉に出してしまう事も多々あるかもしれません。そんな時は ちょっと会話を急ぎすぎなのかもしれませんね。
紡ぎ出された言葉の裏にあるもの
目の前の人の言葉には、その人の人生が表れています。だから発する言葉一つ一つに、実は必ず記憶に結び付いた意味があります。
例えば 全く人の話を聞かない人がいたとしたら、その人は 人に話を聞いてもらう、という事を経験することが無かったかもしれません。だから人の話を聞けないのかもしれません。
例えば なかなか返事が返ってこない人がいたら、慌てて返事をして自分の思いが伝わらなかった辛い経験をしたことがあるのかもしれません。
例えば大きな病気を経験した人がいたら、少し心配の声をかけただけで、大病の記憶が思い出され、病人扱いされるのを嫌がるかもしれません。反対に例えば、どんな病気の時も誰にも心配されない経験をした人がいたら、ちょっとの風邪でも心配の言葉を貰いたいと思うかもしれません。
例えば、相手が納得していない時には「必ずうまくいくと思う」と言っても、タイミングや言い方によっては、励ましに取られず空虚に響いてしまうこともあるかもしれません。
人が会話に求める物
人には「軽く流してほしい時」と「しっかり向き合って話を聞いてもらいたい時」があります。共感を求めている時と気分転換を求めている時があります。
だから、その時々の心の状態によって「求める言葉」や「距離感」も変わってくるんですね。性格と同じく、言葉も経験が作り出したものに関わっています。
例えば病気の時、お医者さんがしっかり支えてくれている場合は、日常の会話の中では“医療的な励まし”ではなく “人としての関わり”や“心のぬくもり”を求めていることも多いかもしれませんが、お医者さんに支えられていない、と感じている時は、目の前の人に医療的な事も話を聞いてもらいたいと思うかもしれません。
全く同じ状況に見えても、その人の頭の中は、その時々で揺れ動いています。目の前の人が紡ぎ出した言葉には、今この瞬間にも 時の流れが関わっています。
言葉は氷山の一角
ネットの誹謗中傷が問題になっている昨今ですが、善悪の判断も、感情の判断も、話し手も聞き手も その発する言葉は全部 氷山(人生)の一角。
まずは自分が言葉を発してしまう前に、目の前の人が本当は何を伝えたいのか・・?を考えてあげると、日々の人付き合いの質も変わってくるかもしれません。
例)人が会話に求めている感情
一例として:たとえばこんなケースでは、会話の相手は下記のようなことを望んでいるかもしれません。
- 気分転換を求める時:
重たい話題ではなく、自然や季節の話、食べ物の話など、軽くて前向きな会話に助けられるかもしれません。 - 心に寄り添ってほしい時:
「自分の感情を理解しようとしてくれている」と感じられる瞬間が、孤独をやわらげるかもしれません。 - そっとしておいてほしい時:
あえて距離を取る優しさも必要だったりします。言葉をかけない、という選択も立派な思いやりの形になります。
人の世界観を大切にするということ
「聞き取り、尋問」をするのではありません。質問という言葉を使いましたが、それは目の前の人を理解するための一つの鍵であり、本質は他人の世界観に敬意を払いながら「共感、理解」することです。人間関係が変わるだけでなく、自分の世界観も変わってきます。そして見える世界は自分中心だった世界から 2倍に、そして3倍の世界へと広がっていきますよ。

